
柳生という名は昔たいへん大きな柳の木があったのでその名から生まれたといわれています。柳生の名がしられるようになったのは江戸時代初期、但馬守宗厳(むねよし・石舟斎)が独自の剣術、柳生新陰流を創始したことから始まります。跡をついだ息子の宗矩(むねのり)は将軍秀忠、家光の剣術師範になり、柳生藩初代の大名となりました。以後、代々柳生氏は徳川家に重用され、江戸時代を通じて徳川幕府に隠然たる勢力をふるいました。柳生の里はこうした“柳生一族”の本拠地だったのです
のびやかな自然と柳生家ゆかりの史跡、宮本武蔵のエピソード、そして今なお剣道がさかんな里のたたずまいは歩いているだけで心なごませてくれます。春には「桜」初夏は「花しょうぶ園」秋は「紅葉」など四季折々の彩りが美しい。
柳生1万石の家老の「家老屋敷」や、柳生宗矩の築いた「柳生陣屋跡」、柳生家の「芳徳寺」など見所がたくさんあり、この里へと通じる道が「柳生街道」です。この街道を行く人々を、平安から江戸時代に彫られた石仏が見守ってくれます。ちなみに宮本武蔵も柳生石舟斎に立ち会いを挑む際、この道を通り、石舟斎を訪ねました。
| 芳徳禅寺 |
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柳生宗矩が父石舟斎を弔うために創建した柳生家の菩提寺。本堂内に宗矩、沢庵和尚などの木像がまつられ、柳生藩の資料を展示する資料室がある。本堂の裏は柳生家一族の墓所になっており、石舟斎ほか代々の墓石がならぶ。目をひくのは乏斎のお墓。酒樽、徳利、盃をかたどったデザインで墓石としては類のないユニークさ。 |
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近鉄奈良駅より奈良交通バス「柳生」下車 Tel 0742(94)0204 芳徳禅寺 |
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武蔵が柳生を訪れたのは剣の聖人といわれた柳生石舟斎との立ち合いが目的でした。つまり武蔵は自分の強さを試したかったわけ。ところが、石舟斎はそれまでの相手とはまったく違っていた。野性的で荒ぶる心のままに生きてきた武蔵は“柳生の剣”の真髄にふれ、石舟斎の精神のすごさを悟ることになる。柳生の旅は武蔵に大きな転機をもたらしたのです。
| 正木坂道場 |
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柳生十兵衛が1万人といわれる弟子に稽古を付けたという歴史をもつ剣道場。 | ![]() |
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| 旧柳生藩家老屋敷 |
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柳生藩家老、小山田主鈴(しゅれい)の旧邸で豪壮な石垣の上に建つ。長屋門、主屋のたたずまい、武具や民具など、エリート武士の暮らしをしのばせて興味深い。庭園があり展望もいい。 一時、作家山岡荘八の所有となり、柳生宗矩を主人公とした小説「春の坂道」の構想はここで練られた。 現在は奈良市が管理し、資料館として公開している。 |
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近鉄奈良駅より奈良交通バス「柳生」下車 開館時間:9:00〜16:30 入館料:300円 電話:0742-94-0002 |
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| 十兵衛杉・一刀石 |
独眼流の柳生三厳(みつとし)十兵衛は、1607年(慶長12年)に生まれ、早くから家光の小姓として側近くに仕え、信任も厚かったけど、1616年(元和2年)初めて家光の父、徳川第2代将軍秀忠に仕え、後に勘気をこうむって退き、1638年(寛永15年)9月17日に許されるまで12年間、柳生に戻り、先祖の遺跡をたずね、兵法の道に励んで過ごし、その間、武芸者として諸国を漫遊しました。
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十兵衛杉 |
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一刀石 石舟斎(柳生宗厳)が修行中、天狗と試合をし、一刀のもとに切り捨てたところに2つに割れた巨石が残ったという逸話のある巨石です。 |
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| 柳生の里へは | ||||
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その他…首切地蔵
柳生街道の途中には、柳生の剣豪柳生十兵衛の弟子、荒木又右衛門が、試し切りをしたと伝えられている。地蔵の首に切れ目が入った首切地蔵がある。
旧柳生藩陣屋跡の西側に広がる、1万平方メートルに400品種12万株の美しい花菖蒲が咲き誇る柳生花菖蒲園(TEL 0742-94-0858)があります。5月下旬頃から7月上旬頃(開花状況により変更有り)までの午前9時〜午後5時まで開園してます。
| 東海自然歩道へのアクセス/JR関西線「奈良」駅、近鉄「奈良」駅より市内循環バス「破石町」下車旧柳生街道 を北東に徒歩4キロ。 |