ならまち界隈タイトル 2005.5.23更新

猿沢池 / 采女神社 / 庚申さん /
道祖神社と御霊神社 / 元興寺 /
十輪院 / 今西家書院 /
ならまち格子の家 /
 興福寺傍の猿沢池から更に5分程南へ下った元興寺旧境内を中心とした地域が「ならまち」と呼ばれています。実は「ならまち」という名前は行政地名ではなく地域の俗称です。 平安遷都で平城京が廃墟と化したなか、東の外京といわれる東大寺や興福寺、春日大社とその周辺は門前町としての機能を維持し続け、そのうちの元興寺(がんごうじ)旧境内を中心とした地域が「ならまち」と呼ばれるようになりました。
 「ならまち」では、江戸時代の末期から明治時代にかけての古い町家風景(木材をふんだんに使った格子のある建物、間口が狭く奥行きの深い中二階の町家、辻子(つじ)と呼ばれる袋小路など)と当時の暮らしを伝える貴重な文化財を身近に感じることができます。
猿沢池(さるさわいけ)
猿沢池  周囲に柳が植えられた猿沢池を挟んで五重塔を見上げた景色は、南都八景の一つです。 行基さんが亡くなられた749年(天平21年)頃、興福寺が秋の彼岸などに捕らえられている生き物を買い集めて逃がしてやる放生会を行う放生池(ほうじょういけ)として造られたといわれています。 ほとりには七不思議の碑があり、「むかしむかしから猿沢池には不思議な言い伝えがあります。 “澄まず、濁らず、出ず入らず、蛙はわかず、藻は生えず、魚が7分に、水3分”」と彫られています。

<龍神伝説>
竜宮城に通じていて雲を呼んで雨を降らせながら竜が天へ昇っていったという話。 芥川龍之介の”竜”という作品は猿沢池をモデルにしています。

<采女伝説>
奈良時代、天皇の寵愛が衰えたことを嘆いた采女(女官)が悲しみのあまり猿沢池に身を投げたという伝説が残っています。
采女(うねめ)神社
采女神社  猿沢池の西にある小さな神社で、猿沢池に身を投げた女官の霊を慰めるために建てられました。 神社の正面が鳥居に背を向ける珍しい配置になっています。 建てたときは正面を向いていましたが、女官が身を投げた猿沢池を見るのは辛かったので、 一晩のうちにくるりと反対に向いてしまったと言われています。

<采女祭>
女官の霊を慰める為のお祭りです。毎年中秋の名月の日に秋の七草で飾った「花扇行列」(花扇を引いた稚児や十二単衣の花扇使)がJR奈良駅から三条通りを東へ猿沢池まで練り歩きます。午後7時より花扇や花扇使をのせた龍頭船が管弦船からの雅楽の調べと共に猿沢池を回った後、花扇を水面に浮かべます。
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庚申(こうしん)さん
 ならまちを歩いていると、赤い人形(?)が軒先に吊るしてあるのを見かけます。 これは魔よけで、人間の代りに罰を受けてくれるので”庚申さん”や”身代わり猿”と呼ばれています。 また、背中に願い事を書いて吊るすと願いが叶うので”願いザル”とも言います。
庚申さん <庚申信仰>
昔の暦で庚申の日(60日毎にある)に寝てしまうと、人間の体の中にいる三尸虫(さんしのむし)が その人の日ごろの行いを天帝に報告しに行き、もし悪いことをしていたら寿命を縮められてしまうので 虫が体から出て行かないよう一晩中寝ずに「庚申供養」をし、それでも心配な人は天の邪鬼が嫌いな「身代り猿」を家に吊るしたり、三尸の虫の嫌いなコンニャクを食べて悪魔を退散させたそうです。 奈良時代末期に中国から伝来した道教の守庚申が日本固有の信仰と混じり、江戸時代に庶民に広まったのではないかとされています。「ならまち」の庚申さんでは青面金剛(ショウメンコンゴウ・仏教)が祀(まつ)られています。 青面金剛が祀られるのは三尸虫を祓う力があるからとされ、また(見ザル・言わザル・聞かザル)の「三猿」は青面金剛の従者です。
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道祖神社 と 御霊(ごりょう)神社
 道祖神社は猿沢池から南へ今御門商店街に入ったところ、 御霊神社はさらに南に行った元興寺塔跡の近くにあります。
道祖神社
道祖神社
<道祖神社> 
この神社は博打の神様とされています。境内には猿田彦神をお祀りした社と「賽(さい)の神」と呼ばれる陽石があります。道祖神社は、「子授け・良縁・安産の神」、また「道開きの神」とのことから商売繁盛の神としても信仰を集めています。陽石は「賽(さい)の神」の賽が、サイコロの意味をもつことから博打や勝負ごとの神とされています。
御霊神社
御霊神社
<御霊神社> 
奈良時代末期から平安時代初期、天変地異や疫病の流行は非業の死をとげた人の怨霊の祟りが原因とされ、それらを恐れて霊を鎮めるために祀(まつ)ったのが御霊神社・御霊信仰の始まりと言われています。 こちらの御霊神社は、800年(延暦19年)に宇智郡霊安寺(奈良県五條市)から勧請したものと伝わっています。 本殿には、井上内親王(聖武天皇の娘で光仁天皇の皇后)やその息子の他戸親王など政争の犠牲となった人々と事代主命(えびす様)が祀られています。 なお、鳥居左右の狛犬の前足に結ばれている紙紐は、町内の子供が神隠しにあって連れ去られないようにするためのお呪(まじな)いです。
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元興寺
元興寺極楽坊 東門
極楽坊 東門
元興寺は南都七大寺の一つで、1998年には「古都奈良の文化財」として世界文化遺産へ登録されました。 蘇我氏の氏寺で飛鳥にあった”法興寺(飛鳥寺)”を平城遷都の時に移転し名前も改められ、 「ならまち」のほとんどを境内にするほど栄えていましたが、藤原氏の台頭とともに衰退していきました。 さらに火事などで建物が失われ再建できないまま町ができ、 今では元興寺(極楽坊)という元僧坊を本堂にした寺、元興寺(塔跡)という五重塔があった寺、 小塔院という小塔があった寺に面影が残るのみです。

<元興寺 極楽坊> 鎌倉時代に庶民の信仰の場として元興寺の元僧坊を改築して再建されたお寺です。 改築されたとはいえ本堂の極楽坊と禅室(どちらも国宝)は 奈良時代の建築様式を伝える貴重な文化財です。 屋根瓦の一部(少しカラフルな部分)は飛鳥時代の瓦(韓国から派遣された瓦職人が作った日本最古の瓦)が リサイクルされていて行基葺(ぎょうきぶき)という珍しい葺き方になっています。 元興寺の五重大塔のミニチュアとされる小塔も国宝に指定されています。 また、秋の七草の萩のお寺としても有名です。

拝観料 : 小学生¥100  中学生¥200  高校生¥300  大学生以上¥400
元興寺極楽坊 本堂
極楽坊 本堂
元興寺 塔跡
塔跡
<元興寺 塔跡> 極楽坊から100m程南にあります。 江戸時代に消失しましたが約10m四方の70mを超える高さの五重塔が建っていた場所です。 今でも礎石(柱を支えていた大きな石)や基壇(建物を建てるために地盤を高くして固めたもの。今で言う基礎)が残っています。本堂は後年建てられたものです。 元興寺 小塔院
小塔院
<小塔院> 塔跡から200m程西にある小さなお堂が建つ場所です。
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十輪院(じゅうりんいん)
 山号を雨宝山(じゅうるいん)といい、創建当初は飛鳥坊・南光坊と呼ばれ元興寺の子院でした。 寺伝によれば元正天皇の勅願寺で平安初期の医師・書家、右大臣吉備真備の長男・朝野宿弥魚養(アサノ スクネ ナカイ)の開基と伝えられています。 鎌倉時代には南都における地蔵霊場として著名になりました。
十輪院本堂
本堂
<本堂>(国宝)
この建物は内部にある石仏龕(せきぶつがん)を拝むための礼堂(らいどう)として建立されました。 正面の間口を広縁にし、蔀戸(しとみど)を用いています。 軒まわりは垂木を用いず厚板で軒を支えています。 柱間の上にある蟇股(かえるまた)は垢抜けした優美な形状をしています。

<石仏龕(せきぶつがん)>(重要文化財)
わが国では非常にめずらしい石仏で、龕中央に本尊地蔵菩薩、その左右に釈迦如来、弥勒菩薩を浮き彫りで表しています。 そのほか、仁王、聖観音、不動明王、十王、四天王、五輪塔、観音、勢至菩薩の種子(しゅじ=シンボルとなる文字)などが地蔵菩薩の周りに巡らされ、極楽往生を願う地蔵世界を具現しています。 鎌倉時代の作品とみられており、当時の南都仏教の教義を基盤に民間信仰の影響を受けて製作されたもので、めずらしい構成を示しています。 大陸的な印象を受ける技法で彫刻されていることでも注目されています。

<南門>(重要文化財)
本堂の正面に建つ表門で、軽快な四脚門です。本堂と同じく厚板で軒を支えています。装飾性のない簡素な構造形式で、あまり類例が見られません。 もとの位置は道路側に突き出ていました。築地塀が両側に続いています。

その他にも石仏・石造物が多く、石のお寺として知られています。 また四季を通して美しい庭は、森鴎外をはじめ数々の歌にも詠まれています。

拝観料 : 小学生¥200 中学生¥300 高校生以上¥400
本堂内拝観時間 : 午前9時〜午後4時30分
休み : 月曜 (祝日の場合は火曜)
十輪院 石仏龕
石仏龕
十輪院 南門
南門
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今西家書院
今西家書院  元興寺極楽坊から南西に300mほど行ったところにあります。 もともとは興福寺の坊官であった福智院家の居宅でしたが、大正時代に造り酒屋の今西家(現在も酒屋として営業されてます)の所有となりました。 国の重要文化財にも指定され、蔀戸(しとみど=格子に板を張った昔の窓)や 猫間障子(ねこましょうじ=一部が開閉できるようになっている障子)といった 日本古来の建築技法が室内のいたるところで見られる書院様式の建物です。 庭も手入れが行き届いているのでお抹茶などをいただきながら(別料金)楽しむ事ができます。

見学料 : 中学・高校生¥300  大人¥350   休み : 月曜、お盆・年末年始
ならまち格子(こうし)の家
ならまち格子の家 外  ならまちの伝統的な町家が再現されています。 全体的には細長い作りで、3つの続き間が土間に隣接し、その奥には中庭、離れそして蔵が配置されています。 2階もあり、階段は引き出しが付いた箱階段になっています。 ならまち格子の家ではこれらを自由に見学でき、格子にはどのような役割があるのか、 当時の生活がどのようなものであったのかを窺い知る事ができます。 また観光客だけでなく地元の人の憩いの場ともなっています。

休み : 月曜(祝日の場合は火曜)、祝日の翌日(土日以外)、年末年始
ならまち格子の家 内
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アクセス ■猿沢池より南へ徒歩5分 (猿沢池 : 近鉄奈良駅より徒歩5分、JR奈良駅より10分)
■JR奈良駅発、近鉄奈良駅経由「ならまちバス」で、「元興寺」下車 (※今西家書院へは「福智院町」下車)