2005.5.18更新

伝飛鳥板蓋宮跡/水落遺跡/石舞台古墳/
国営飛鳥歴史公園/飛鳥寺/入鹿首塚/高松塚古墳/
吉備姫王墓・猿石/鬼の爼・鬼の雪隠/亀石
 日本史上、飛鳥が舞台となったのは6世紀半ばから8世紀初までの約150年間といわれています。この期間は大陸から仏教が伝わり、多くの知識や技術が入ってきた時でもあります。同時に豪族から大王(おおきみ)による支配へ、そして天皇中心による律令国家への移り変わり、名も知られていない小国、倭国(わこく)が仏教をめぐる対立、若き皇子の登場、後継争いなどの大きな事件を経て古代国家「日本」としての礎が飛鳥地方と共に形作られていった時代でもあります。 
 今回は聖徳太子の没後の645年、日本史上に残る最大のクーデターである「大化の改新」に焦点を当て、それを引き起こした中大兄皇子と藤原鎌足の二人の人物をその出会いの場、蘇我入鹿暗殺の舞台となった伝飛鳥板蓋宮跡、鎌足誕生地、曽我氏に関係の深い場所や寺院、大陸より伝わったとされる石の文化等を紹介します。
<大化改新とは> 645年(大化1)に始まる一大政治改革。
舒天皇と皇極女帝の子である中大兄皇子と中臣鎌足が中心。
645年それまで朝廷の実権を握っていた蘇我氏を滅ぼしたことにより、翌日、孝徳天皇が即位した中大兄皇子は皇太子として実権を握り、内大臣には鎌足、左・右大臣には阿倍内麿呂・蘇我倉山田石川麿呂、国博士には高向玄理の任命が行われ、さらに年号の制定、難波遷都などにより新体制が作り出された。改新の基本方針として646年の改新の詔に、皇族・諸豪族の私有地・私有民の廃止、京師・国・郡・里などの地方行政組織の確立、戸籍の作製と班田収授法の実施、祖・庸・調その他の統一的な賦課制度の施行、という4項が示された。従来の氏姓制度による皇族・豪族の個別的支配権を否定して、中国の律令制度にならった公地公民制に基づく中央集権的・官僚制的支配体制を打ちたてようとするものであった。普通650年までを改新の期間とするが、改新の目標がだいたい遂行されるには、663年白村江の敗戦、672年壬申の乱まどの曲折を経て、700年大宝律令の制度までなお多くの日時を要した。(角川 日本史辞書掲載)
伝飛鳥板蓋宮跡>> 芽葺きと異なり板で屋根が葺かれたことから、板蓋宮(いたぶきみや)と名が付きました。蘇我入鹿暗殺の場であるといわれています。大化の改新の幕開けの場所です。
水落遺跡>>
中大兄皇子(天智天皇)によって造られた日本最古の漏刻(水時計)があった場所と推定されています。
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石舞台古墳>>  30数個の巨石を積み上げた日本最大級の横穴式石室で、埋葬者は飛鳥時代の権力者・蘇我馬子の墓(「桃原墓」ももはらのはか)といわれています。棺を納めた玄室の大きさは、長さ7・6m、幅3・5m、高さ4・7mにも及びます。
■入場料:一般250円 高校生200円 中学生150円 小学生100円
国営飛鳥歴史公園>> 飛鳥の豊かな自然と文化的遺産の保存・活用を図った施策の一環として整備されたのが国営飛鳥歴史公園です。「甘樫丘(あまかしのおか)」「石舞台」「祝戸」「高松塚周辺」の4地区からなります。祝・休日などには屋台が出たり、ステージで催し物があったりでなかなか楽しめます。
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飛鳥寺 飛鳥大仏 飛鳥寺>> 飛鳥寺は588年に百済から仏舎利(遺骨)が献じられたことにより、蘇我馬子が寺院建立を発願し、596年に創建された日本最初の本格的な仏教寺院です。昔は法興寺・元興寺とも呼ばれていましたが、現在は安居院(あんごいん)と呼ばれています。創建時の飛鳥寺は、塔を中心に東・西・北の三方に金堂を配し、その外側に回廊をめぐらした伽藍配置で、寺域は東西約200m、南北約300mありました。飛鳥寺の大仏は東大寺の大仏よりも、さらに150年も古いと推定されています。現在は、小さな堂宇とその中に残る日本最古の仏像のみが残っています。
■拝観料:一般・大学生300円 高校250円 中学220円 小学200円
入鹿首塚 入鹿首塚>> 飛鳥寺のすぐ隣に建つ五輪塔。
蘇我入鹿の首が葬られていると伝えられています。飛鳥寺のすぐ横にあります。
高松塚古墳 高松塚古墳>> 昭和47年に彩色壁画が発見され、一躍有名になった円形古墳。石郭内の壁には東西南北を守る四神、青龍、白虎、玄武や男女群像などが描かれています。南に描かれていたと思われる朱雀は、盗掘のため消失しています。古墳内部は、保存のため公開されていませんが、隣接する高松塚壁画館で見学が可能です。
■高松塚壁画館:一般250円 学生(高校・大学)130円 小人(小・中学生)70円
高松塚古墳(女人壁画)
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 日本と言えば昔から家屋や仏像彫刻に代表されるような木の文化がイメージされると思います。しかし明日香地方で見られる遺跡や彫刻の類は石で作られたものがほとんどを占めています。そういう意味で明日香は石の文化のふるさとでもあるのです。古建築、彫刻が残っていないだけにまるで石の都のようです。明日香に都があった「飛鳥時代」とは、日本の歴史の中でも特異な時代だったのではないでしょうか。
吉備姫王墓 猿石(女・山王権化) 猿石(法師・男) 猿石>> 吉備姫王墓(きびひめみこのはか)の正面の垣の中に、猿石とよばれる花岡岩の石像が4体あります。猿石は18世紀初め頃に付近の水田から掘り出されたもので、制作年代も目的も不明ですが、日本の彫刻の流れから孤立している点から、朝鮮渡来の石工の作だろうと考えられています。
この猿石は左から、女、山王権化、法師、男を表しており、裏にも顔があるものもあります。吉備姫王墓の中には入れないので門囲い越しにしか見ることができませんが、飛鳥資料館には複製があります。さらに南東5kmにある高取城跡にも猿石が一体ありますが、それは高取城築城の際、石垣に転用するためにここから発掘されたものが運ばれたとされています。
鬼の俎 鬼の雪隠 鬼の爼(まないた)・鬼の雪隠(せっちん)>> 人喰い鬼が旅人をとらえて爼で料理し、食べたあと雪隠で用を足したというのが、この奇妙な通称の由来。2つの巨石は、もとは一組みの古墳の石室であったと推定されています。
亀石(かめいし)>> 明日香村の人気者。川原寺の境界を表す標石であるという説とある伝説が有名です。その伝説とは、大和が湖だった頃、川原と対岸の当麻との争いが起きました。争いの末に当麻に湖の水をとられてしまい、たくさんの亀が死にました。亀を哀れに思った川原の村人達が亀の形を石に刻んで供養したそうです。そして現在南西を向いている亀が、もし西を向き当麻をにらみつけたとき、大和盆地は泥の海に沈むという恐ろしい話です。
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